【情 報】 News Pick-up! 「マンタ舞う海 守り残す」 日経10/8より

 問いのたて方

 


・ダイバーが一度はあこがれる「マンタ」と出会える場所

 が見つかった? そこで起こった出来事とは??

・このままではいけない! そう考えた園田さん(発見者)

 がしたことは?

・みんなで進めた「共生のルール」と共存のための活動

 

 

日本経済新聞 10月8日(月)朝刊

 

「マンタ舞う海 守り残す - 石垣島の遊泳場所を発見、観察にルール」

 筆者 : 園田 真さん (八重山ダイビング協会 会長)

 

<記事要約>

1980年代前半   地元の漁師さんから聞きつけた話を元に「マンタ」を

        見ることのできる場所を園田さんが探し始める。

1985年      マンタが行き交う「絶好の場所」を発見。

        (*後にそこは「川平石崎マンタスクランブル」と命名される。)

1986年      雑誌でその場所が紹介されるや、石垣中の船が集まり、ダイバーが

        あつまる一躍有名な場所に!

 

        と同時に、トラブルも…。

        集まったダイバーの中には、

         ①マンタに近づこうと全速力で近づく

         ②マンタの来る場所で待ち構える

        など、野生のマンタを驚かし、逃げてしまうようなことを

        する人が出てくる

 

        そこで、園田さんを中心に他のダイビングショップの関係者と

        話しあい、「観察のルール」を決める。

        

        「観察のルール」

         ①マンタを追いかけない!

         ②マンタに触れない

         ③スポットに着底し、姿勢を低くして観察する

 

        このルールを徹底し、周囲のみんなで守ることにより、マンタは

        今も着実にそこを訪れている。

 

        このルールは広く広がり、パラオのダイビング協議会からも

        問い合わせをうけるまでに!!

 

1999年    八重山ダイビング協会が設立され、サンゴの天敵であるオニヒトデの

        駆除などにも取り組み、マンタが行きかう海を守る活動が始まる。

 

<ポイント>

                      ダイバーもダイビングショップも、そして海の生物たちも、

                      皆が共生できる ルールを自分たちの力で考え出し、

                      それを徹底的に守ることで、自然を 守っていることと同時に

        ダイバーを遠ざけたりせず、ダイビングショップがビジネスとして

        繁栄している「誰もが傷つかないフォーム」を作ったことが

        素晴らしい!!

 

                      また月曜日の日本経済新聞という注目度の高い場所の裏表紙で

        この記事が掲載されたことも、多くの目に触れることになり

        素晴らしい!! 

        

【情 報】 メディアにおける動物事件の取扱いに関する当連絡会の意見

 問いのたて方


・この夏起こった、動物に関する2つの悲しい出来事

   日本のマスコミは、何を伝えたか?

・事故なのか、それとも起こるべくして起こったことなのか?           

 

以上のような問いを通して、「マスコミ」が伝えるべきこと

を提唱したいと思います。

 

今年になってから幾つかメディアに登場する動物達の悲惨な事故が起こっている。

 

■ジッペイと6頭の仲間(兄弟)の死。

 

某テレビ番組にマスコット的に登場していたジッペイという犬が猛暑の中、

その仲間たちと車の中で死んでしまった事故は、

まだ視聴者の記憶に残っているであろう。

 

夏季には、どの動物病院でも熱中症の患者が多数担ぎ込まれるようになる。

そのため獣医師会や愛護団体等では、注意を促す啓蒙ポスターやパンフなどで

飼い主たちの教育を熱心にやっているのである。

 

しかし今回の事故を起こしたのは、一般の飼い主、素人ではない。

犬をテレビ番組に提供している者であり、いわば仕事の一環として

犬を使用している者である。

 

テレビに出すこと自体を批判するつもりはないが、何も考えずに

子犬を衝動的に買ってしまった飼い主などと比べたら、飼養管理の質のレベルが

明らかに高くてはならないはずである。

 

クーラーは入れていたのであるが、何かの不具合で途中で切れてしまう

という事故が起こったので仕方がなかった、と言われてはいるが

果たして本当にそうであろうか。

 

どのような事情であれ、猛暑の中を複数の動物を車の中に置いたまま

その場を離れた時点で、すでに飼養管理意識に問題があったと言える

のではなかろうか。

 

確かに、時にはどうしても動物を移動させる必要があり、

時間帯を選ぶことが不可能である場合もあろう。

また同じ生き物である人間が、自然現象などで車を降りなくては

ならぬこともあろう。

しからば事前にトラブルを想定して2人態勢で搬送を行えば

問題は解決するではないか。

 

生き物、命を扱うのであれば、そのような事前の準備は

当たり前のことである。

 

仕事であるからこそ、より厳重に計画を立てるのは当たり前のこと

であろう。

 

今回の事件は事故ではなく人災である。

このような視点でのメディア報道は皆無である。

 

■タレントチンパンジ―、人を咬む

 

もうひとつ残念な事件がある。

これはやはり人気テレビ番組に登場していたチンパンジーが、

人を襲いひどい怪我を負わせてしまったという事故である。

 

しかしこのチンパンジーの飼育者は、2005年ごろから

種の保存法の違反をしているのではないかという点を

日本動物園水族館協会及び環境省に指摘されてきた。

 

これは当時のメディアでも取り上げられていたが、そのチンパンジーの

飼育団体は公益社団法人日本動物園水族館協会を退会してしまい、

事はそのままになってしまった。

 

本来ワシントン条約のリストに載っているチンパンジーは、

繁殖目的以外で譲渡されることはないはずなのであるが、

明らかに問題となっているチンパンジーは、ショーのみに集中的に

使用されていることが指摘されていた。

 

米国でも、何年か前にチンパンジーが、飼育者のもとを訪れた

第3者に襲い掛かり重傷を負わせた事件が起きている。

チンパンジーは、テレビの画面で偽りの姿が披露されているが、

本来は200キロ以上の握力を有する猛獣であり、人間を含む他の動物を

襲っても決して不思議ではない。

自然の中では、小型のサルなどを襲いその肉を食す行動も観測されている。

 

性成熟を迎えた雄の猛獣が、何かのきっかけで他者に襲い掛かった時には、

人間はそれを止めることができないのである。

 

よって、この「事故」は十分に予測できたものであろう。

そのようなことが起こらないように、しっかりとしたセーフガードが

設けられていなかったのである。

 

これもまた一般の飼育者よりも動物を知りより高度な飼養管理技術を持つはずの

専門家のもとで起こった事件である。

 

何よりも疑問に感じることは、このチンパンジーをさんざん

もてはやしていたメディア自体が、突っ込んだコメントも取材もしていない

という点であろう。

 

イケメンタレントが誰かを殴った、などとなればすべてのワイドショー、

スポーツ新聞等々が声高らかに取り上げるであろうに、今回は本当に報道の数が

少なく不気味さを感じずにはいられない。

 

またチンパンジーの共演者である自称「動物好き」の芸人もだんまり状態である。

 

言うまでもなく、所有者である動物施設も何もコメントを出していない。

直接動物の管理に関わっていたトレーナーも何も言ってはいない。

真の被害者は、チンパンジーであろう。 

「ドクターヘリを飛ばさなければならないほどの大怪我を負わせた。」等々と

言われている。彼の立場を世間に対して弁護してくれる「友達」が、

実は長年付き合っていた(付き合わされていた)人間の中にいるはずなのに

一人もいないことが判明したのだ…。

 

【 参考情報 】

 

 チンパンジーのえげつなさ 「古世界の住人」様 ブログ 

  ~ いじめ・子殺し・残虐行為

    こちら から

 

 You Tube 映像 (海外のニュースから)

 チンパンジーに襲われた女性 (閲覧注意ー画像の刺激が強いため

    こちら から

    <事故概要>

     事故が起こったのは2009年2月のこと。ナッシュ(被害者)が

     友人のサンドラ・エロールの家に訪れていたときのこと、
     とつぜんナッシュに襲いかかったトラヴィス(チンパンジー)は
     彼女の顔面に攻撃をくわえました。 

     トラヴィスは狂ったようにナッシュを襲い続け、その攻撃は

     12分間にも及んだといいます。
     トラヴィスを止められなかったエロールは泣きながら警察に電話。 
     銃で撃ってくれるよう頼み、結果トラヴィスはその場で射殺されました。 
     現場は惨憺たるもので、トラヴィスの毛と埃が舞った室内には、
     床にまるで挽肉器にかけられたような彼女の指が散乱し、
     ナッシュの上あごと鼻はむしられ、 
     顔面にはトラヴィスの抜けた歯が食い込んでいるという
     凄まじさだったそうです。 

 

     その後の調べで、トラヴィス(チンパンジー)は前日の午前中から
     気が立っている様子だったので、
     エロールが抗不安薬である ザナックスをお茶に混ぜて
     トラヴィスに与えていたことが判明。
     人間でも服用すれば、記憶喪失、協調性の欠如、性欲の抑制
     などが副作用として起こる場合があるザナックスが、
     トラヴィスの抱えていた不安を攻撃に転じた可能性が 報じられました。 

 

 

【情 報】 イルカ漁に関して 海外から届いた手紙へのアクション


映画 「The Cove」 を通して一緒に考えたい

 問いのたて方

・本当に映画が伝えたかったテーマを理解していただろうか?

・日本のマスコミは、何を伝えたか?

・水銀汚染の実態を訴えたい、というテーマは伝わっているか?

・日本人の「食文化」について、日本人が自ら考えているか?

・「文化」は、未来永劫 絶対に不可侵なものであるのか?

・私たちが生きるため、他の動物の「いのち」をいただく際に、

 最低限必要なこととは

・自分たちの問題として考えるために十分な情報が、マスコミ等から

 手に入れられているのか?

・求められる「健全な議論」

・動物虐待は、他の場所でも起きているのでは?

・自分たちが生きるために必要な活動を、他の動物たちとの                                     

 共生という側面からも考えるべきではないのか

 

 

① メディアの取り上げ方から

(この文章は、映画初公開時に発表された文章であることをご了承ください)

 

米国アカデミー賞のドキュメンタリー部門の受賞作である「ザ・コーブ」が

日本国内ではかなりの話題になりつつある。

 

この映画は和歌山県太地町のイルカの追い込み漁を題材としたものであるが

その残酷さを告発する作品であると多くの人々が語っている。

 

昨年インディーズの登竜門であるやはり米国のサンダンス・フィルム・

フェスティバルの観客賞を受賞してから、この映画は様々な地域で、様々な形で

評価/批評され続けてきたのである。

 

しかしどこを見ても誰の話を聞いても、この映画の本当に伝えるべきメッセージ

に着目している者はいないと感じているのは私だけであろうか。

 

米国で初めてこの映画が上映されてから我が国においても

いくつもの記事が全国紙に掲載されている。

 

どれをみても「伝統」、「食文化」等々の言葉が羅列されており

実際に実施されている行為、つまり漁の手段、方法などについての

詳しい記述はない。

 

おそらくこのような記事を書いている記者自身が現場を

見たことがないと推測される。

にもかかわらず大半の記事が「ジャパン・バッシング」が

行われているという主張もしている。

 

事実にもとずくことなく。悪者扱いされることはだれしも気持ちの良いもの

ではなく怒りを感じることでもある。

しかし事実がどのようなものであるかの確認は少なくとも

メディア関係者には 調べる義務があるのでなかろうか。

 

アカデミー賞の授賞式直後のワイドショー的メディアの騒ぎ方には尋常

ではないものを感じるのみならず愚かさを感じざるを得なかった。

 

好むと好まざると我が国のオピニオン・リーダーとなってしまっている

各種「業界人」やコメンテーターの意見に文化的文盲の深さと深刻さを

感じたのは私だけではないはずである。

 

彼らのコメントが公共の電波に乗り、一般市民に届き大衆の意見に

影響を与えていくのかと思うと背筋が寒くなる思いである。

 

 

 

② 指摘された問題点の検証

ではこの映画の「問題点」と指摘されている事柄を検証してみると

いったい何が出てくるのであろう。


監督のシホョス氏が最も重視しているのは水銀汚染の実態である。

これに関してはすでに国内でも研究者らが調査を行っており数値などが

明らかにされている。

 

イルカの肉を食くしている太地町内においても、学校給食における

その肉の活用に反対する町会議員が声をあげているという事実もある。

むろんこのこともあまり日本国内のメディアは取り上げていない。

 

海洋資源の水銀汚染は深刻な地球規模の問題であり、

マグロ好きのシホョス監督自身が自分の毛髪の水銀地が高いと発言している。

 

ザ・コーブはその一端をとらえて、特に水銀の含有量が高い食資源は

食べなければならぬのでなければ食べないほうがよいのでは、という

意見を述べているのである。

 

しかし映画の中ではクジラ肉と偽ってイルカ肉が販売されている

実態もあることが明らかにされている。

 

あるワイドショーのコメンテーターは「嘘をついて世界に販売している。。」

というような言葉が使われたとしているがそれ自体嘘である。

映画の中では地元のスーパーなどでクジラという表示のものを

購入し調べているシーンが出てくるが、世界各国の店に足を運んでいる

わけでもなく、そのような発言は映画の中にはない。

 

さらには映画の中でホテルの一室で「怪しいDNA鑑定」をして

そのような勝手な結論を述べている、という発言もあるワイドショーで

述べられていたがそれを実施している専門家の背景調査をやっての発言であろうか。

 

少なくとも映画の中ではどのような人材が、どのような役割を果たしたかは

明らかにされている。

つまりそれぞれの専門家は自分の領域に関しては責任ある発言を

顔を出してしているわけであり、それを疑問に思うのであれば、

それなりの根拠がなければならないことは大人として、社会人として、

そして責任あるメディアとして当たり前のことではなかろうか。

 

 

 

③ 食の文化論

もう一つ何度も日本のメディアで取り上げられている文化論であるが

これは捕鯨に関しても繰り返し言われていることである。

 

食文化を他の国の人間にとやかく言われるのは不愉快である、

また文化を理解してほしいと関係者は何年もの間公言してきたのであるが

それにははたして国民のバックアップがどれだけあるのであろうか。

 

少なくとも現代の日本国民の大半はクジラ肉、イルカ肉を日常的に食してはいない。

 

あすから食卓にそれが上らぬようになるといわれても実はピンと

こない人間のほうが多いのである。

しかし今や食べていないものを食べていると、世界中に攻められ

罵倒されているという実態を、一般の市民は果たして本当に知っているのであろうか。

 

実はこれは日本国民自身が自分たちの間で議論をしなければ

ならぬことではなかろうか。

 

そして世界の考え方の流れを忠実に伝え、それに対して国民が自分で考える

という土壌を作っていくことがジャーナリズムの果たすべき役割ではなかろうか。

 

確かにシーシェパードのような過激な行為は容認できるものではない。

しかしそのような行為に走っているのは、ごく一部の過激なアニマル・ライツの

集団であり、世界的に見ても彼らの行動を称賛している人々はそれほど

多いわけでもない。

 

しかし、日本国内の報道はことさらこのような集団の事件ばかり取り上げ

日本の捕鯨がいかにクレージーな攻められ方をしているかを強調し、

国民に冷静な判断を求めるような情報提供、事実の提供をしていないのでは

なかろうか。

 

むろん事実を知ろうとする意欲が国民にかけているのかもしれぬが

それを刺激するのもメディアの役割の一つであろう。

 

文化論に関してはもう一つ考えねばならぬことがある。

それは文化は果たして変えてはならぬものであるか否かという議論である。

 

人間が作り上げた文化や宗教、風習を変えてはならぬものとするので

あれば、新宿副都心の高層ビル群の地下には無数の人柱が

埋まっているはずである。

 

ローマのコロセオでは今もなおグラディエーターの殺し合い、

奴隷に野生獣をけしかける見世物等々が行われているはずである。

吉原は多くの文化的事柄を生み出した偉大な場所として持て早されている

はずである。。。。

そう、文化は人間の意識やモラルの変化とともに変わっていくものなのである。

 

歴史を振り返ってみれば、その証拠はふんだんにある。

 

象牙の国際商取引が問題になった時期に、邦楽にとって三味線のばちを

はじめとして、極めて重要な様々な道具の原材料がなくなることを

危惧するべしという路線をとったある報道番組のレポーターが、

著名な邦楽家でもある三味線の師匠を訪ね、合成材料で作られたばちで

試し弾きを依頼した。象牙のばちも合わせて使用してもらいどちらが

よいかをたずねた。

 

視聴者にとっては明らかに象牙がよい、なくなるのは遺憾である

という発言が期待されていることがリポーターの言葉尻から伝わってきた。

しかし三味線の達人であるこの御人はこう答えたのである。
 

「邦楽が常世の昔から象牙の音楽であったわけではありません.

木製の道具を使っていた邦楽が、大陸から象牙がもたらされたときに

象牙の音色に変わっていったのです。象牙が手に入らなくなるのであれば、

今度はポリマーとやらの音色に変わっていくのかもしれませんな。。。」

そしてかれは朗らかに笑ったのである。

 

見事な切り返しであるが、これこそが人間の文化の本質である。真髄である。

昔からやっているのだから、という議論がはたしてどこまで通用するのであろう。

 

むろん良い習慣、風習を軽視しているわけではないが、文化であるから

変えることはできぬ、変えてはならぬという主張も

考えなおさなければならぬのではなかろうか。(づづく)

 

 

 

④ イルカ肉を食することが間違っているのか

そしてこの文化をなぜ変えなければならないかを考える

にあたって浮上するのが、「ザ・コーブ」に対して批判的な

コメントをしている日本メディアの発言にみるもう一つの間違いである。

 

イルカを食べるなというのであれば牛や豚はどうであろうか。

 

西洋ではそれらを食べているにも関わらずイルカはだめだということがおかしい、

というコメントは何人ものコメンテーターから聞いた言葉である。

 

ここにも彼らの文化的文盲が露見しているのである。

 

今世界の動きの中で注目されている事柄の中には、農業動物の福祉がある。

とりわけ欧州ではそのような動きが続々と法制化されているのである。

販売される動物由来食品に関して、その原材料となる動物自体の育成方法を

明記することが非関税障壁になるか否かという議論は、長くWTOをも悩ませてきた。

 

例をあげれば、採卵鶏(卵を産ませるために飼育されている鶏)の飼育方法の

一つであり、長きにわたり効率のよい安価な方法であるとされてきた

「バタリー・ケージ・システム」では鶏がその一生を拘束衣

といっても決して過言ではないような狭い箱型の空間に閉じこめられることから

近年では非人道的であるとされつつありEUではそれが2012年には

禁止されることとなっている。

 

当然同地域に卵を輸出している国々もそのあおりを受けるであろう。

 

このような流れの中では人道的なと殺方法に関する議論も、

様々な場で繰り広げられているのである。

 

この世界的な動きの中で、たとえ食べてしまうものでも命がいたずらに

苦しめられぬよう配慮することは、人間として忘れてはならぬことである

という考え方が徐々に浸透してきている。

 

サッカーのワールドカップが日韓合同で開催されたときに、欧米で韓国の

犬食い文化が批判された。

もちろん犬がかわいそうである、という声もあり、そればかりが

大きく取り上げられていたが、犬を食べること自体に反対しているわけではない

という人々もたくさんいたのである。

彼らが反対の声を上げたのは、食用の犬の扱いに関する抗議をしたかったからである

 

この時もメディアは全くその点を無視した報道をしていた。

 

いくら食べられてしまうとはいえ、ワイヤー・ケージにジャガイモの

ごとく詰め込まれ、時には撲殺されるといった扱いは、決して生き物に対して

やってよいことではない。

これは幼い子供にでもわかることであろう。

 

犬がかわいそうなのではない、生き物が、痛みを感じることができる

生き物が極めて「痛い思い」を文字どおりしているのであり、

それを何とかしなければならないということなのである。

 

このように簡単なことがなぜ報道する側に見えぬのか、

それは本当に不思議なことであるとしか言いようがない。

 

そしてイルカに話を戻せば、牛も豚も鶏もそしてイルカも、

食べるのであれば人道的な と殺 をするべきであろう、

ということになるのである。

 

映画の画面いっぱいに広がると殺シーンはどう見ても人道的ではない。

ゆえに牛と同じではないのである。

またクジラに話を広げれば自然の資源うんぬんよりも、はたしてクジラという

巨大獣を一瞬のうちに痛みや苦しみ、恐怖を感じさせずにと殺することは

可能なのであろうか。

 

もし、それが不可能であるとすれば、そろそろ人間は自分の胸に手を当てて

考えなければならぬという文化、倫理的レベルに到達しているのではなかろうか。

 

 

 

⑤ 健全な議論

イルカ肉を手に入れる手段が人道的かそうでないか、に関しては

国民が考えるべきことであり当事者、つまり利害関係がある者の

仲間内のみで考えるべきことではない。

 

そのためには国民の有する情報基盤の整備が必要である。

そしてこれこそがメディアの役割である。

やはり一度日本国内のメディアが太地町のイルカ漁の取材をするべきである。

 

もしその時に拒否された、というのであればそれを正直に報道してほしいものでる。

 

太地町の当事者たちの言い分を載せるのであれば、それをジャーナリストたちは

自分の目で検証してからそうするべきではなかろうか。

 

最後にあるワイドショーの有名なコメンテーターが、この映画は日本人に対する

欧米の人種差別の証であるという発言をしている。

あまりに情けないコメントではないか。

 

東京国際映画祭での上映の際に、あるオーストラリア人の女性が

シホョス監督に質問をした。

 

オーストラリアは捕鯨や今回のイルカ漁などに非常に批判的な国家であるが

しかしその女性の発言は決してジャパン・バッシング的なものではなかった。

 

「とてもためになる作品を提供していただき感謝します。私の国でも

カンガルーが害獣扱いで極めてひどい駆除のしかたが横行しています。

今度はぜひオーストラリアにも映画を撮りに来てくださいませんか。」

 

彼女はそういったのである。

このような冷静なコメントができる人間と比べ、人種差別発言のコメンテーターの

レベルの低さが情けないと思っているのは私だけであろうか。

 

スペインでは闘牛という文化は牛を惨殺する野蛮な娯楽でしかない、

それゆえにもう廃止するべきであるという大きな運動が国中にで展開されている。

 

もちろん擁護派も、たくさんいるわけであり意見のぶつかり合いがあることは

否定できない。それ自体はべつにわるいことでもなくむしろ健全なことであろう。

日本においては健全な議論さえ持ち上がらぬのが現状である。

 

このような世界の流れの中で自分たちだけがいじめられている、

日本文化を理解できぬ困った奴らが海外にいる等々と吠えていても

何の解決にもならぬどころか国民をさらなる混乱に陥れたり、

自信を喪失させたり、自らを卑下するような状況に押し込めてしまったり

することにもなりかねぬのである。

 

⑥ 殺すことだけが虐待ではない

問題の太地町で追い込まれたイルカがすべて殺されるわけではない、

イルカ・ショーなどに送り込まれるものもある、という「言い訳」の

ようなコメントをしている日本の司会者がいたが、

ここでも再び文化的文盲が露見してしまった。

 

映画は米国をはじめとして、多くの国々で設置されている海洋生物の

展示施設(水族館)がいかに海洋生物の福祉を侵害してきたか、

という点も取り上げている。

 

映画の主役の一人であるオバリー氏は、かの有名なフリッパーの

もとトレーナーである。

 

イルカの展示、その人気、そしてそれに続く搾取の火付け役でもある彼は、

その業界のあまりの無軌道な現状に背を向け、自分が築き上げた産業を

今や自分の手で破壊しようとしているのである。

 

オバリー氏自身は、米国内においても数々の違法行為で検挙されながら

抗議活動を展開させてきたいわば過激派であり、決して全面的に支援しやすい人物

ではない。

 

しかし彼のたどってきた道、彼の人間としての懺悔の日々、そのような

ストーリーにはどのメディアも一切触れてはいない。

フリッパーを夢中でみた世代は今数々の責任ある社会的地位に、

身を置いているはずである。

その彼らにオバリー氏のストーリーが理解できぬはずはない。

 

なぜその全容がしっかりと報道されないのであろう。

今や動物園水族館業界では前述した食用動物を取り巻く状況と、

同じような動きが活発化している。

 

展示するのであれば個体の福祉が守られなければならぬ、

という考え方が浸透してきているのである。

 

自然の勉強を子供たちに、というのであれば、

ストレスで毛が抜けている動物や自然な動きが病的な常同行動に

変わってしまっている動物を見せても仕方がないということは当然のことであろう。

 

今や欧米においては動物園も変化を求められている。

この事実も世界の流れの中の常識の一つである。

 

そしてこの動物園改革運動のシンボルともされている動物種が四種類ある。

象、大型霊長類、熊、そして海洋哺乳類である。

これらの動物は行動学的にも人工飼育が極めて困難であると学識経験者も述べている。

 

 彼らの福祉を守り教育に役立つような「自然」な展示をすることは

至難の業であるということなのである。

 

すでに欧米の著名な動物園の中には、ゾウの展示を一代限りと公言している

ところもある。

つまり今展示している個体が死んだ場合次の個体は入れないということなのである。

 

シャチがトレーナーを殺してしまった事故も、決してこのような福祉関連の

問題と無関係ではない。

イルカとの遊泳をプールなどで行っている展示施設もあるが

このような娯楽の中で発生した事故の報告を義務付けている米国においては

10年間で十数件の報告例がある。

すべてイルカが人間にぶつかり打撲、骨折などが生じた事例である。

 

はたして、これらの事故が彼らのイライラからくるものであるか否かは

意見の相違があろうかとも思うが、何かがおかしいことは確かである。

 

また展示施設のイルカなどは、しばしば餌の中に胃腸薬など添加されて

あたえられている。

ストレスで消化器官をやられてしまうからである。

 

つまり殺されぬイルカもいるのである、だから少しは救われるのでは、

という議論は全くと言っていいほど的外れなのである。

今や動物園改革の先端を行く考え方は、海洋哺乳類の展示そのものを

疑問視しているのである。

 

 

 

⑦ The Cove をどうとらえるべきか

このように様々な角度から検証してみると「ザ・コーブ」という映画が

どのような問題提起をしてくれているかが見えてくる。

そこには太地町という地域を攻撃しようという狭い意図は感じられないのである。

 

むしろ文化、風習に囚われている人間がいかに滑稽な存在に見えてくる

ものであるかを物語った映画なのではなかろうか。

 

また人間がいかに意地や執着で生きている生物であるかも浮き彫りになってくる。

 

確かに太地町がやり玉に挙げられているのではあるが、

それはおそらく実態を隠そうという過激な動きが題材としては取り上げやすさに

つながったのではなかろうか。

 

闘牛でも、カンガルーの駆除でも同じ映画がとれたかもしれぬ。

一部の産業動物の飼育施設などでも同じことができたであろう。

むしろ鶏のバタリー・ケージの実態を撮れば、もっと過激な映像が出てきたかも

しれない。

 

人間が自分が生きていく中でほかの生き物とどのようにつながるかは

永遠の課題である。

 

しかし、我々ホモサピエンスは常に進化している生物であると私は信じたい。

確かに今でもお互いに戦い無益な殺生を繰り返すこともあるが、

少しずつ文化的、倫理的進化を遂げていると思いたい。

その壮大な流れの中にこの映画は位置付けられるのではなかろうか。

【  各種資料 】

 

  イルカ追い込み漁 Wikipedia

 

  ザ・コ―ヴ Wikipedia